ある老人の話

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    「昭和38年から取組んできた老人の調査と研究が,はからずも保健文化賞を戴くことになり,昭和45年9月24日東京第一生命ホールに於いて表彰式があり,翌25日,天皇,皇后両陛下から御言葉を賜り,宮中拝観の光栄に浴した。御文庫のある吹上御苑のくぬぎ林の中に野生の「きじ」が数羽歩くのがみられ古い武蔵野が大東京の中にまだ厳然と残っているのをみて,「ふるさと」を想い出した。そのふるさとの自然に暴虐の限りをつくし,禿山とどぶ川に化しているのが日本の現状である。自然を守る事と公害とは,密接不離,裏と表の関係にある。その公害と老人問題は何れも人間が盲目的に作り出した点に於て同じであり,自分達で解決対処せねばならぬ問題である。そして,一般に病弱である老人達こそ,この公害の影響を最も強く健康面に於てうける被害者でもある。これら老人の健康と医療について考えの一端を述べてみる。」
     これは「磯 典理/老人の健康と医療(生活衛生Vol. 14(1970) No. 6 P 164-167)」の冒頭である。
     鹿児島時代の最後の頃,身近にいた恩師や先輩との別れが続き,生と死について考えることが多くあった。これまで思い半ばで天国へ召された方を思うと,その悔しさがいかほどであったかと胸が重くなるばかりである。その頃から私もどのように残りの人生を生きるかについて考えるようになった。小学校高学年、中学生となった子どもたちは,親と同行することを好まなくなった。これは私にとって寂しいことであるが,私も子どもの頃も同じように振る舞っていた。きっと父も今の私と同じ寂しさを感じていたのであろう。私も子育ての話や仕事の話等,ようやく父と同じ話題が話せる年となったが,そんな時に父はもういない。一方で関西に戻り,体調を悪くした母親や高齢の伯父伯母と話をする機会が増えるようになった。母の見よう見まねで始めた庭木の剪定も、今では同じように,いや今となっては高い所や複雑な箇所を任されるようになった。あわせてお茶を飲みながら伯父や伯母の過去の活躍を聞きくこともできるようになり,楽しい時間を一緒に過ごせるようになった。
     前述の磯典理氏は,私の伯父であるが,子どもの頃はいつも留守で会うことがほとんどなかった。母よりも20歳以上年上であり,子どもの私にとって話ができる相手ではなかった。先日伯母の老人ホームへの入所手続きの際に伯母から夫婦の歴史をヒヤリングしていると,私の知らない伯父と伯母の話が沢山でてきた。伯父は伯母と結婚後すぐ,日中戦争の軍医として中国に出征し,終戦後,捕虜となったロシアから無事帰還した。その後,大阪市の医師となり,保健所で出会う沖縄の老人が元気なことから,長寿の秘訣を探ろうと老人についての研究を始めたそうだ。終活を始めた伯母の今の心境と伯父が研究した老人学が重なり,伯父のことをもっと知ろうと過去の論文や書籍を捜していると,冒頭のような論文が出てきた。老人についてのわかりやすく書かれている文章から,伯父自身の老後よりも,残される伯母の心境がわかっていたようにも思える。一方で「その公害と老人問題は何れも人間が盲目的に作り出した点に於て同じであり,自分達で解決対処せねばならぬ問題である。」とのまとめについては,分野は異なるが私と同じ視点を持っていたんだと,遠い伯父を少し身近に感じることができた。
     思い半ばで終わる人生もあれば,楽しい人生でしたとゆっくり過去を振り返りながらその日を待つ人生もある。ただ,80歳を超えた母や伯父伯母と話や作業を続けていると,数年前まで出来たことが出来なくなっていることに気付く。本人が一番悔しく感じているのではないだろうか。

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