発泡スチロールと火災

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     先日,韓国で大規模なビル火災がありました。その際,火元で発泡スチロールが燃えたという報道がありました。またイギリスのマンションでも断熱材の発泡スチロールが燃えて大火災となりました。発泡スチロールはよく燃えるプラスチックで,これまで漁業用に使用されている発泡スチロール製フロートも,粉砕圧縮して固形燃料にされてきたり,溶解して油に戻して重油の代替え燃料として使用されてきました。固形燃料では,石炭の代わりとして製紙工場のボイラー燃料として使用されていますが,発泡スチロール単体では燃焼カロリーが高すぎて炉を痛めるため,古紙とあわせてカロリーを低下させねばならないほどです。また燃やすと黒い煙を上げて燃えますが,これは不完全燃焼によるものです。

     このような発泡スチロールは,油として利用できることから,海洋ごみのとなってしまったもの(漂着フロート)やなりそうなもの(廃漁業用フロート)は,上手く処理すれば処理が進むのですが,逆に放置した場合,燃えやすいものが海岸に大量に散乱しているということになります。以前私達ではないのですが,海岸で漂着物を野焼きしていた方が火の番を離れた後,周囲に延焼して見つけた我々が消すことができず,消防車を呼んだということがありました。海岸に大量に散乱している発泡スチロールに一度火がつけば,山火事になるでしょう。漂着放置されている箇所をおそらく人も入ることができない箇所でしょうから,消火も大変です。

     広島県でも昨年から漂着散乱ごみに対する議論が始まったようです。発泡スチロール製フロートからの大量のマイクロプラスチックの発生も大きな問題ですが,防火という面でも海洋ごみを議論する必要もありそうです。


    キンモクセイの花の香り

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       キンモクセイの花の香りがする季節となりました。この香りがするといつもの季節がやって来たと感じるのですが,いつこの香りがしていたのかはあまり覚えがありません。気がつけばたくさんのオレンジの花が咲き,それが散って香りも終わり。でもこの香りをよく覚えています。今思えば,朝夕が涼しくなった頃だったような気がします。

       姶良の我が家には玄関にキンモクセイの木があり,最初の頃はきれいに丸く剪定していたのですが,知人の庭師が,寂しいんだったら大きくしてみたらという意見から,強く剪定をするのを止めました。その後,あまりに大きくなってしまったので,真ん中にツリーハウスを作りました。子供たちも登ったりぶら下がったりとよく遊んだ樹ですが,虫が出るようになり,近づかなくなってしまいました。

       先日仕事で鹿児島に帰る機会がありました。いつもの道を通り、いつものラーメン屋でラーメンを食べ,いつもの浜辺で昼寝をしと,いつもと変わらない鹿児島でしたが,さあ帰ろうかと思うとき,帰る家がないことに大きな寂しさを感じました。帰る家とそこに待つ家族というのは,家族を持って感じるようになりました。

       香りも家族のシーンを思い出させます。神戸での生活には,家族のシーンの中にこの香りというものがありません。私も大阪の実家での思い出はどんどんと忘れ去られて行きますが,子供たちと一緒に遊んだ様々なシーンは,ほんのり香るキンモクセイの花の香りでも鮮明に思い出させてくれます。親になってからのシーンが一番鮮明です。


      アルバムの整理

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        なかなか我が家の仕事ができずにいましたが,子供たちの夏休みの宿題も一息ついたのでずーとほったらかしにしていたアルバムの整理を始めました。2012年,次男が小学校入学まで作ったのが何年前だろうか。いつも年末の実家での仕事でしたが,実家滞在時間が短くなった今ではその時間もなく,いつかやらないとねと今日に至っています。2012年は,私にとってハワイ航海やハワイや西海岸に震災漂流物を追って走り回った時期です。家族との写真も海,仕事の写真も海と海の写真ばかりです。まだまだ可愛い息子たち,五年前のことを覚えているのでしょうかね。今ようやくこの頃の写真を懐かしいねと見ることができるようになりました。最近は海の写真もなく,また家族の写真も減りました。後3年分頑張って作ろう。


        ある老人の話

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          「昭和38年から取組んできた老人の調査と研究が,はからずも保健文化賞を戴くことになり,昭和45年9月24日東京第一生命ホールに於いて表彰式があり,翌25日,天皇,皇后両陛下から御言葉を賜り,宮中拝観の光栄に浴した。御文庫のある吹上御苑のくぬぎ林の中に野生の「きじ」が数羽歩くのがみられ古い武蔵野が大東京の中にまだ厳然と残っているのをみて,「ふるさと」を想い出した。そのふるさとの自然に暴虐の限りをつくし,禿山とどぶ川に化しているのが日本の現状である。自然を守る事と公害とは,密接不離,裏と表の関係にある。その公害と老人問題は何れも人間が盲目的に作り出した点に於て同じであり,自分達で解決対処せねばならぬ問題である。そして,一般に病弱である老人達こそ,この公害の影響を最も強く健康面に於てうける被害者でもある。これら老人の健康と医療について考えの一端を述べてみる。」
           これは「磯 典理/老人の健康と医療(生活衛生Vol. 14(1970) No. 6 P 164-167)」の冒頭である。
           鹿児島時代の最後の頃,身近にいた恩師や先輩との別れが続き,生と死について考えることが多くあった。これまで思い半ばで天国へ召された方を思うと,その悔しさがいかほどであったかと胸が重くなるばかりである。その頃から私もどのように残りの人生を生きるかについて考えるようになった。小学校高学年、中学生となった子どもたちは,親と同行することを好まなくなった。これは私にとって寂しいことであるが,私も子どもの頃も同じように振る舞っていた。きっと父も今の私と同じ寂しさを感じていたのであろう。私も子育ての話や仕事の話等,ようやく父と同じ話題が話せる年となったが,そんな時に父はもういない。一方で関西に戻り,体調を悪くした母親や高齢の伯父伯母と話をする機会が増えるようになった。母の見よう見まねで始めた庭木の剪定も、今では同じように,いや今となっては高い所や複雑な箇所を任されるようになった。あわせてお茶を飲みながら伯父や伯母の過去の活躍を聞きくこともできるようになり,楽しい時間を一緒に過ごせるようになった。
           前述の磯典理氏は,私の伯父であるが,子どもの頃はいつも留守で会うことがほとんどなかった。母よりも20歳以上年上であり,子どもの私にとって話ができる相手ではなかった。先日伯母の老人ホームへの入所手続きの際に伯母から夫婦の歴史をヒヤリングしていると,私の知らない伯父と伯母の話が沢山でてきた。伯父は伯母と結婚後すぐ,日中戦争の軍医として中国に出征し,終戦後,捕虜となったロシアから無事帰還した。その後,大阪市の医師となり,保健所で出会う沖縄の老人が元気なことから,長寿の秘訣を探ろうと老人についての研究を始めたそうだ。終活を始めた伯母の今の心境と伯父が研究した老人学が重なり,伯父のことをもっと知ろうと過去の論文や書籍を捜していると,冒頭のような論文が出てきた。老人についてのわかりやすく書かれている文章から,伯父自身の老後よりも,残される伯母の心境がわかっていたようにも思える。一方で「その公害と老人問題は何れも人間が盲目的に作り出した点に於て同じであり,自分達で解決対処せねばならぬ問題である。」とのまとめについては,分野は異なるが私と同じ視点を持っていたんだと,遠い伯父を少し身近に感じることができた。
           思い半ばで終わる人生もあれば,楽しい人生でしたとゆっくり過去を振り返りながらその日を待つ人生もある。ただ,80歳を超えた母や伯父伯母と話や作業を続けていると,数年前まで出来たことが出来なくなっていることに気付く。本人が一番悔しく感じているのではないだろうか。

          ありがとうを原動力に

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             すっかり神戸の生活にとけ込んだ家族ですが,関西に戻ってきた一番の目的がこんなに早くやって来るとは思ってもみませんでした。

             神戸に帰ってから仕事の間を縫って大阪の年老いた母や叔父・叔母の家の庭木の剪定や買い物に行ってます。やはり90歳を越えると,これまで一人で出来ていたことがだんだん難しくなってきます。同じことが一年後も同じように出来るかと言われると難しくなってくる年代です。これまで90歳を越える兄弟を80歳に近くなった母が面倒みる日々が続いていましたが,それもそろそろ限界のようです。この2年,出来る限り手伝いに行くようにしています。

             職業指導の授業で「ライフキャリア・レインボー」という話をしたことがあります。これはスーパーが提唱した理論で,現在の私はサラリーマンとしての「職業人」,子供たちの「親」,母親に対しての「子ども」,家族に対しての「家庭人」という役割を持つことになります。鹿児島にいた頃には,遠く離れた親のことはあまり考えることがありませんでしたので,「子ども」の役割は低く,その分,週末は気ままに海へ出ていましたので,自分の余暇を楽しむ「余暇人」の割合が大きかったのかもしれません。また「家庭人」を放棄して?ボランティア活動に励んでいましたので「市民」という立場も大きかったに違いありません。

             しかし現在は「職業人」としての拘束が強く,比重が重くなると,「市民」としての役割はほとんどなくなり,母親等の面倒をみる時間が増えて「子ども」の役割が「余暇人」としての役割を吹き飛ばしてしまいました。「職業人」としての役割の重さが「市民」としての役割を吹き飛ばす点が,一般の人が環境や周囲に関心を持たなくする要因の一つであるのではないかと考える日々です。これが環境問題の改善の難しいところなのかもしれません。動きたくても動く時間がありませんし,そこにさくパワーもないというのが今の本音です。

             だからといってもとのたっぷりな「余暇人」に戻りたいという思いはありません。これまでなおざりにしてきた「子ども」としての役割を通じて,「余暇人」と同じ充実感が得られるからです。それは「ありがとう」の言葉です。「職業人」としても,お客様から「ありがとう」と言っていただけることでエネルギーを得ることができますが,実際はそればかりではありません。50歳を前に「余暇人」「市民」というよりも,母親や親戚のお手伝いを通じて再び「子ども」としての役割に比重を割く年代なのかもしれません。

             さて「親」として「ありがとう」にエネルギーがあることを子供たちに伝えることができているか?こちらの役割もしっかりしなければなりません。



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